中井房五郎氏から松永榮子まで
2016年、自彊術(じきょうじゅつ)は創案から100年を迎えました。十文字学園で行われた式典には
松永榮子を始め、十文字学園の十文字一夫理事長・松本校長、国際自彊道連盟会長・久家一宇氏、
ほかに多くの先生方が参加されました。
2019年4月、松永式十文字自彊術40周年記念式典を行うにあたり記念誌を発行いたしました。
そこに記載しました文章を以って簡単ですが十文字自彊術の大まかな歴史をお知らせいたします。
「自彊術の創始者、中井房五郎氏から松永榮子へと続いた道を辿ってみます。」
香川県に生まれた房五郎氏は、青年期に朝鮮、中国に渡り自ら持っていた手技治療術で患者を治療し、沢山の経験を積み帰国。
香川、後に東京にて治療道場を開設しました。
患者としてそこを訪れたのが十文字大元氏でした。大元氏は房五郎氏に出会うまで7年間も脊髄病に苦しみ、ワラにもすがる思いで
房五郎氏の治療を受けたところ徐々に快方に向かい、医者にも見放された状態から8年後には全快することが出来たのです。
この喜びを多くの世の中の人に知ってもらいたいと房五郎氏に働きかけ創作して形作られたのが自彊術です。
大元氏は経営する自社の従業員や世間一般への普及を図ると同時に女性の健康教育を重要と考え、妻の十文字こと先生が
創立した十文字学園(世の中に役に立てる女性を育てることを理念とした学校)で女子の習得を促しました。
十文字こと氏
松永榮子はこの十文字学園で6年間、自彊術を正課として学びますが、在校中は好きではなかったと言います。
しかし後年、健康を損なって暗い日々を過ごしたことで再び自彊術の良さを痛感し、日々実践して健康を取り戻しました。
請われて近隣の人たちにも教えるようになり、共に健康でいてほしいと活動を始めました。。
十文字学園での自彊術風景
日本人が日本人の為に創案した自彊術。この100年の間にも戦争での衰退や外国からの様々なスポーツの流入等が
ありましたが、今こうして私達が出来ることを有難いと思い、先人たちの苦労に感謝して日々励んでいきましょう。
「広瀬美和先生のこと」
広瀬先生は十文字学園卒業生のために佐藤和子先生と協力し「十文字自彊術桐友会」を結成し。松永榮子をはじめとする後輩の指導をされました。
さくら会報の記事を参照してください